大理市は雲南省西部、大理白族自治州の州府。蒼山と洱海に挟まれ、南詔・大理国の故都として知られます。白族文化と「風花雪月」の景観が共存する歴史観光都市です。
特徴

蒼山と洱海に挟まれた 大理市市街地(2017年8月19日撮影)。
大理市の最大の特徴は、西に蒼山、東に洱海を配した「山海のあいだの都市」である点にあります。蒼山は十九峰が南北に連なり、洱海は細長い高原の淡水湖です。下関の風、上関の花、蒼山の雪、洱海の月は「大理四景」と呼ばれ、自然と暮らしが一体となった風景を形づくっています。
民族構成では白族が多数を占め、彝族、漢族、回族なども暮らす多民族都市です。白族の民居は三坊一照壁や四合五天井を基本とし、白い照壁に家訓を記す慣習が残ります。大理石の産地としても知られ、建築や工芸にその質感が活かされています。
都市構造は、政治経済の中心である下関と、歴史文化の核である大理古城が南北に連なる形です。古城は明清の棋盤式街区を保ち、蒼山から流れる溪水が街中を通って洱海へ向かいます。観光都市としての性格が強い一方、洱海の環境保全と伝統集落の維持が、現在の大きな課題でもあります。
- 蒼山と洱海が並ぶ山海一体の景観
- 下関風・上関花・蒼山雪・洱海月の四景
- 白族を主体とする多民族文化
- 三坊一照壁などの伝統民居
- 下関と大理古城が役割を分ける都市構造
主な施設

大理古城の東門(洱海門)のレイレイ。2017年8月20日撮影。
最も象徴的な施設は大理古城。東の洱海門、西の蒼山門、南の承恩門、北の安遠門を備え、五華楼を中心に街路が直交します。人民路が東西を貫き、文献楼や南城門楼などが南北の軸線を形成しています。白族風の青瓦民居と石畳の街路が続き、国家歴史文化名城の中核となっています。
古城北西の崇聖寺三塔は、南詔から大理国にかけて建てられた仏塔群です。主塔の千尋塔は十六層の密檐式方形磚塔で、南北の小塔と鼎足の配置をとります。かつての崇聖寺は「仏都」と称された王室寺院で、現在は三塔を中心とする景勝地として整備されています。
自然側では蒼山と洱海が最大の施設です(笑)。蒼山には清碧溪などの渓谷や索道があり、洱海では湖岸の集落や遊覧が展開されます。喜洲の白族民居建築群、蝴蝶泉、感通寺、太和城遺跡、西雲書院なども重要な文化拠点です。これらは単独の名所であるだけでなく、蒼洱の山水と白族の暮らしを一体として見せる役割を担っています。
- 大理古城(四門・五華楼・人民路)
- 崇聖寺三塔と千尋塔
- 蒼山・洱海
- 喜洲白族民居建築群
- 蝴蝶泉・感通寺・太和城遺跡
歴史
大理一帯は古くから洱海周辺の農耕文化が栄えた土地です。唐代には六詔が並び、開元二十六年(七三八年)に南詔が太和城を都としました。その後、都は陽苴咩城(羊苴咩城)へ移り、大理は雲南の政治・文化の中心となります。南詔は唐や吐蕃と関わりつつ独自の国家を築き、仏教も大きく広がりました。
南詔の後、大長和・大天興・大義寧を経て、後晋天福二年(九三七年)に段思平が大理国を建て、再び陽苴咩城を都としました。大理国は宋と並行する約三百年の政権で、仏教が深く浸透し、「妙香仏国」と呼ばれました。国王のなかには出家して僧となる者も多く、崇聖寺はその象徴的な寺院でした。
元憲宗三年(一二五三年)、フビライの軍が大理国を滅ぼし、のちに大理路が置かれます。明代洪武十五年(一三八二年)には、中原の城制にならって現在の大理府城が築かれ、四門と棋盤街区が整えられました。これが今日の大理古城の骨格です。清代まで大理府の中心として存続し、杜文秀政権の舞台にもなりました。
近代以降、府制廃止を経て下関が交通と商業の拠点として成長します。一九五〇年代に下関市が置かれ、一九八三年に下関市と大理県が統合されて現在の大理市となりました。一九八二年には国家歴史文化名城および国家級風景名勝区に指定され、蒼山洱海と古城が一体の観光地として発展しました。
現在の大理市は、南詔・大理国以来の歴史を背負いながら、白族文化と高原の山水を活かす州府です。「一城風花雪月、半部雲南歴史」と称されるように、雲南の中世史を理解するうえで欠かせない都市であり、古城と三塔、蒼山と洱海がその記憶を今に伝えています。
